2004年06月
2004年06月30日
2004年06月07日
大滝ダム周辺白屋地区、亀裂問題の調査結果報告の要望書
「紀ノ川流域委員会」庶務 和佐喜平 様
調査結果報告の再度の要望について
第15回委員会において、私は整備局に対して大滝ダム試験湛水に伴う周辺民家の亀裂問題について正確な調査結果の依頼を言及しました。そして6月10日、庶務和佐さんに直接電話で次回の委員会において詳細な報告をしてもらえるように再度要請をして、且つこの旨を中川委員長に確と通達するようにお願いしています。従って、次回28日の「紀ノ川流域委員会」において詳細な報告をして頂けるものと思いますが、改めて要望します。
7月20日、民報テレビが地元住民37世帯の方々の仮説住宅へ移転する模様を放映した。「移転で少しは不安が解消されるが」という地元の声があるが、これまでの経緯は決して速やかな対応であったとは考えられない。
今日までのマスコミ情報から私達が判断できることは、「大滝ダム白屋地区亀裂現象対策検討委員会」の対応が迅速且つ的確な判断の下に行われていたかという疑問である。
6月上旬、対策委員会の第1回会議で「亀裂に大きな変化は認められない」、「試験貯水がひび割れの原因とは断定できない」としながらも、取り敢えず水位を下げることを決めたと聞いています。この対応から既に、現地からの報告とは著しく違ったものといえる。
6月8日、地元住民団体の現地見学会の報告書を見せて頂いたが。それによると、「湛水停止後、進行は遅くなったが、今も拡大し続けており、到底収束傾向とは言えない。最初、最下段の駐車場や民家だけだったのが、今、どんどん上段へ進展して行っている。家は壁などの割れだけでなく、中に入ると気分が悪くなるくらい傾いている。建具は、梁の大きなゆがみで動かない状態になっている。外からでも一目で傾いているのがわかる。個人的な感想として、この状態で大雨や地震があると、倒壊の危険もある。人命にかかわる問題であり、悠長に調査している場合ではなく、早急に一次避難も含めた移転を検討すべき、と思いました。」と報告されている。
整備局の対応は、委員会報告の直ぐ後にプレハブ仮説住宅への仮移転を提案していることから推測して現実の実態把握の甘さ、国土省の原因回避の委員会体質が諸に出た対応でしかなかったように考えられる。また、それにも況して白屋地区の地滑り問題は、ダム計画当時から重大課題であったことが解った。当時県は78年「潜在的地滑り地」とする報告書を出している。そして、今回の委員会委員長が参加した国の対策委員会においても、81年に「ダム貯水により地滑りの可能性がある」と認めていたという。
この事実は呆れる以前の問題として今回の地滑りは人災も甚だしいとの誹りを免れない。洪水の恐怖を煽り、国民の安心を売り物にダム計画を遂行する国土省がダム災害を起し国民に不安を与えるとは、本末転倒も甚だしい。
今回の事件一つ取ってみても、国民はダム計画に不信感を抱かざるを得ない。国土省がダム工事を完成させるだけの主目的になっている今日の状況を考えると、今回の事件は私達に啓示するところ計り知れないものがあると認知しなければならないだろう。
それにしても、今回の白屋地区に対する国土省の対応は初めから終わりまでずさんな危機意識に乏しい、先送り的対処方法が目立ったとの感じが先行する事件であったといえる。
従って、今回の「紀ノ川流域委員会」において詳細な経緯事実を説明することは最低限の行うべきことがらであると考える。
「紀ノ川流域委員会」委員 岩畑正行
調査結果報告の再度の要望について
第15回委員会において、私は整備局に対して大滝ダム試験湛水に伴う周辺民家の亀裂問題について正確な調査結果の依頼を言及しました。そして6月10日、庶務和佐さんに直接電話で次回の委員会において詳細な報告をしてもらえるように再度要請をして、且つこの旨を中川委員長に確と通達するようにお願いしています。従って、次回28日の「紀ノ川流域委員会」において詳細な報告をして頂けるものと思いますが、改めて要望します。
7月20日、民報テレビが地元住民37世帯の方々の仮説住宅へ移転する模様を放映した。「移転で少しは不安が解消されるが」という地元の声があるが、これまでの経緯は決して速やかな対応であったとは考えられない。
今日までのマスコミ情報から私達が判断できることは、「大滝ダム白屋地区亀裂現象対策検討委員会」の対応が迅速且つ的確な判断の下に行われていたかという疑問である。
6月上旬、対策委員会の第1回会議で「亀裂に大きな変化は認められない」、「試験貯水がひび割れの原因とは断定できない」としながらも、取り敢えず水位を下げることを決めたと聞いています。この対応から既に、現地からの報告とは著しく違ったものといえる。
6月8日、地元住民団体の現地見学会の報告書を見せて頂いたが。それによると、「湛水停止後、進行は遅くなったが、今も拡大し続けており、到底収束傾向とは言えない。最初、最下段の駐車場や民家だけだったのが、今、どんどん上段へ進展して行っている。家は壁などの割れだけでなく、中に入ると気分が悪くなるくらい傾いている。建具は、梁の大きなゆがみで動かない状態になっている。外からでも一目で傾いているのがわかる。個人的な感想として、この状態で大雨や地震があると、倒壊の危険もある。人命にかかわる問題であり、悠長に調査している場合ではなく、早急に一次避難も含めた移転を検討すべき、と思いました。」と報告されている。
整備局の対応は、委員会報告の直ぐ後にプレハブ仮説住宅への仮移転を提案していることから推測して現実の実態把握の甘さ、国土省の原因回避の委員会体質が諸に出た対応でしかなかったように考えられる。また、それにも況して白屋地区の地滑り問題は、ダム計画当時から重大課題であったことが解った。当時県は78年「潜在的地滑り地」とする報告書を出している。そして、今回の委員会委員長が参加した国の対策委員会においても、81年に「ダム貯水により地滑りの可能性がある」と認めていたという。
この事実は呆れる以前の問題として今回の地滑りは人災も甚だしいとの誹りを免れない。洪水の恐怖を煽り、国民の安心を売り物にダム計画を遂行する国土省がダム災害を起し国民に不安を与えるとは、本末転倒も甚だしい。
今回の事件一つ取ってみても、国民はダム計画に不信感を抱かざるを得ない。国土省がダム工事を完成させるだけの主目的になっている今日の状況を考えると、今回の事件は私達に啓示するところ計り知れないものがあると認知しなければならないだろう。
それにしても、今回の白屋地区に対する国土省の対応は初めから終わりまでずさんな危機意識に乏しい、先送り的対処方法が目立ったとの感じが先行する事件であったといえる。
従って、今回の「紀ノ川流域委員会」において詳細な経緯事実を説明することは最低限の行うべきことがらであると考える。
「紀ノ川流域委員会」委員 岩畑正行
2004年06月06日
5月28日、29日の大洲会議について
23日に発信した私のメールを巡って、28日整備局説明会の後、須藤、遠藤、有友、久保各氏との話し合いをもったわけですが、これは翌日の会議に向けた予備会議として忌憚のない意見交換ができたものでした。
ただ言えることは、この時点においても私達の共有認識にかなりの隔たりがあり議論が噛み合わないところがただあり、私の説明不精も手伝って、ホテルにおいても罵倒し合うことが目立ちました。私はこの状況は飽く迄も第三者的にしか係わりが出来ない(須藤氏は29日の会議では自分も地元の一員であると発言している)、少なくとも私と遠藤氏は部外者です。従って、私達関係者がどのように怒鳴りあいしながら運動論を展開したとしても、私は何ら地元の運動に支障を来たすことは無いとの考えで罵倒しあっても内心は平常で極めて冷静に終始できるものでした。
また、私は少なくともここ1年4ヶ月を通じて皆さんより少し現地事情を理解できていると自負していました。
全体の志向性があっても盛り上がらない運動について
今回、私は両氏以外にも地元の方に初めて辛らつな表現を用いて運動姿勢を質しました。両氏に念頭において頂きたいのは、昨年10月30日の抗議集会ならびに31日の流域委員会抗議事件について、今日まで一切誰に拘わらず愚痴ひとつ漏らさず皆さんに接してきた、共同してきたという事実です。しかし、忍の方法が効を制しない場合は、全くの恥も外聞もない攻撃的であっても良いのではないだろうかという、破れ手法も一手と思い大胆な発言に終始したというのが実情です。
運動における人格について
今回資料代金に拘って、50冊の500円、2万5千円を請求するのに倍額の旅費を使って行くほど私も激怒している訳ではなく、皆さんと同じく、ダムを止める為に遠路片道6時間の時間を割いて駆け参じている訳で、それを懇切丁寧に説明する必要の全く無いと判断しての議論であった為、一部誤解がどのように生じるのか理解不明なまま29日朝の会議を行うことになりました。
そもそも如何なる手立てが勝つ為の手法であるかについては、可能性を拡大すればするほど「人格」の拡散、膨張につながりしいては己の人格など予想せぬものとなっている、それを解った上での戦いで、誰に謗りを浴びせられるか判らない、どう考えても理に適わない、運動とはそんなものだという自覚に立ったとしても、突然やってくる感情には打ち負かされるのが現実だと思います。双方向の信頼が「人格」を形成することもあるでしょう。しかし、その背景に裏切りが全くないという確実がない以上やはり否定的な見解が先走ることは性の何ものでもないと思います。それを真正面に捉えるよりも、事実認識を積み重ねることで回避できる、また、そうすべきだと考えますが。私自身は運動に勝負が懸かっている場合は「人格」など考えたことはなく、自己を殺してなんぼの値打ちでしかないと覚悟している関係上あまり気になる言葉ではありません。
「かえれ」発言と人格
今回は頻繁に私に対して「かえれ」発言が飛び交いましたが、それは私が地元に対して最後通告の手っ取り早い「全体」への推進力になる可能性を体現したもので両氏には直観的にご理解して頂けなかっただけの支障に過ぎないと理解しています。従って、先程にも書きましたが私自身は差ほど憤慨するものではありませんでした。
しかしながら、これが、地元の方々、また団体等での間で起こったとすれば話は全く別の理解に至ります。しかし現実は常に第三者の理解を超えたものとして起こります。住民連絡会の経緯そのものを棚に上げたとしても、その関係者から「住民投票を実現する会」の有友さん、他の方々が「かえれ」発言を浴びせられたとすれば、これは私達の激論を超えた次元での将来に禍根を残すことになるでしょう。そしてこの禍根に対して私達は沈黙する術しか持ち得ないと思います。
これが私を「全体」への志向に用心、躊躇させる原因の一つになっています。
私の非人格、暴言的発言は「全体」への風穴を明けたか。
29日午前の会議は自画自賛ではありませんが、今日の「全体」の閉塞状況を突き破る画期的な意味合いがあったように考えています。それは、前田さん角田さんが突破口の鍵になる発言をしたという事実です。これは「全体」への飛躍を約束する条件、壁を明確に提示した、この発言に全てが懸かっていると言っても過言でない内容が含まれていたと理解します。
先ず前田氏の発言は「全体の形式的枠組みを押し進めることは全体への道を反って塞ぐ結果になる、時間の推移を見守る必要がある」との指摘だと私は理解しました。また、角田さんは「住民連絡会へ実現する会が参加することに拠って全体への実現が可能性として現実味を帯びてくるとの発言だったと記憶しています。私は両者の発言の尤もさを真摯に受け止めこの時点が全体への出発であると感じました。ただし、展望を切り開く鍵は「実現する会」にあると思います。少なくとも、会議で確認しつつあった有友氏が事務局的を担っている事実は自他共に許すところになっているという事実です。
また、私の知る限りにおいて、有友氏が1年4ヶ月の山鳥坂ダム反対運動を進めてきた、私自身が運動として認識できる現実を判断してそう思う訳です。そしてこの肝心要に対して少なくとも私は無力であると痛恨しています。全ては地元の方、さらには「実現する会」の展望に起因するところ大だと考えるからです。
さらに古久保氏の市民運動と市民への配慮について適切且つ大事な発言がありました。やはり、住民・市民を考慮した運動でなければ世論を喚起できない、その為にも全体への方向性を具体的な形で示さなければならないというものであったと思います。
以上から押し並べて、会議に参加された全ての方は方向性として、取り敢えず形式に拘らず全体での運動の取り組みの必要性を再確認できたと理解します。従って私の非人格的、暴言発言は参加された方の忌憚のない意見がでたことで有効かつ生産的であったと自負、独り善がりに考えています。
せめぎ合いの厳しい運動を強いられる渦中にあって、地元でない私は必然的に主体的な運動を担うことが出来ません。従ってこの会議を契機にして私と山鳥坂ダム反対運動を再考してできる取り組みを摸索したいと考えています。
今回の会議において各氏に対して不適切な発言ならびに不愉快な思いをさせることがあったとすれば全て運動論の摸索から出たものでそれ以上の他意の無いことを察し頂き不問に付して頂ければ幸いです。
なお、この見解書は28日の夜、29日午前の会議に出席された方に送信します。
ただ言えることは、この時点においても私達の共有認識にかなりの隔たりがあり議論が噛み合わないところがただあり、私の説明不精も手伝って、ホテルにおいても罵倒し合うことが目立ちました。私はこの状況は飽く迄も第三者的にしか係わりが出来ない(須藤氏は29日の会議では自分も地元の一員であると発言している)、少なくとも私と遠藤氏は部外者です。従って、私達関係者がどのように怒鳴りあいしながら運動論を展開したとしても、私は何ら地元の運動に支障を来たすことは無いとの考えで罵倒しあっても内心は平常で極めて冷静に終始できるものでした。
また、私は少なくともここ1年4ヶ月を通じて皆さんより少し現地事情を理解できていると自負していました。
全体の志向性があっても盛り上がらない運動について
今回、私は両氏以外にも地元の方に初めて辛らつな表現を用いて運動姿勢を質しました。両氏に念頭において頂きたいのは、昨年10月30日の抗議集会ならびに31日の流域委員会抗議事件について、今日まで一切誰に拘わらず愚痴ひとつ漏らさず皆さんに接してきた、共同してきたという事実です。しかし、忍の方法が効を制しない場合は、全くの恥も外聞もない攻撃的であっても良いのではないだろうかという、破れ手法も一手と思い大胆な発言に終始したというのが実情です。
運動における人格について
今回資料代金に拘って、50冊の500円、2万5千円を請求するのに倍額の旅費を使って行くほど私も激怒している訳ではなく、皆さんと同じく、ダムを止める為に遠路片道6時間の時間を割いて駆け参じている訳で、それを懇切丁寧に説明する必要の全く無いと判断しての議論であった為、一部誤解がどのように生じるのか理解不明なまま29日朝の会議を行うことになりました。
そもそも如何なる手立てが勝つ為の手法であるかについては、可能性を拡大すればするほど「人格」の拡散、膨張につながりしいては己の人格など予想せぬものとなっている、それを解った上での戦いで、誰に謗りを浴びせられるか判らない、どう考えても理に適わない、運動とはそんなものだという自覚に立ったとしても、突然やってくる感情には打ち負かされるのが現実だと思います。双方向の信頼が「人格」を形成することもあるでしょう。しかし、その背景に裏切りが全くないという確実がない以上やはり否定的な見解が先走ることは性の何ものでもないと思います。それを真正面に捉えるよりも、事実認識を積み重ねることで回避できる、また、そうすべきだと考えますが。私自身は運動に勝負が懸かっている場合は「人格」など考えたことはなく、自己を殺してなんぼの値打ちでしかないと覚悟している関係上あまり気になる言葉ではありません。
「かえれ」発言と人格
今回は頻繁に私に対して「かえれ」発言が飛び交いましたが、それは私が地元に対して最後通告の手っ取り早い「全体」への推進力になる可能性を体現したもので両氏には直観的にご理解して頂けなかっただけの支障に過ぎないと理解しています。従って、先程にも書きましたが私自身は差ほど憤慨するものではありませんでした。
しかしながら、これが、地元の方々、また団体等での間で起こったとすれば話は全く別の理解に至ります。しかし現実は常に第三者の理解を超えたものとして起こります。住民連絡会の経緯そのものを棚に上げたとしても、その関係者から「住民投票を実現する会」の有友さん、他の方々が「かえれ」発言を浴びせられたとすれば、これは私達の激論を超えた次元での将来に禍根を残すことになるでしょう。そしてこの禍根に対して私達は沈黙する術しか持ち得ないと思います。
これが私を「全体」への志向に用心、躊躇させる原因の一つになっています。
私の非人格、暴言的発言は「全体」への風穴を明けたか。
29日午前の会議は自画自賛ではありませんが、今日の「全体」の閉塞状況を突き破る画期的な意味合いがあったように考えています。それは、前田さん角田さんが突破口の鍵になる発言をしたという事実です。これは「全体」への飛躍を約束する条件、壁を明確に提示した、この発言に全てが懸かっていると言っても過言でない内容が含まれていたと理解します。
先ず前田氏の発言は「全体の形式的枠組みを押し進めることは全体への道を反って塞ぐ結果になる、時間の推移を見守る必要がある」との指摘だと私は理解しました。また、角田さんは「住民連絡会へ実現する会が参加することに拠って全体への実現が可能性として現実味を帯びてくるとの発言だったと記憶しています。私は両者の発言の尤もさを真摯に受け止めこの時点が全体への出発であると感じました。ただし、展望を切り開く鍵は「実現する会」にあると思います。少なくとも、会議で確認しつつあった有友氏が事務局的を担っている事実は自他共に許すところになっているという事実です。
また、私の知る限りにおいて、有友氏が1年4ヶ月の山鳥坂ダム反対運動を進めてきた、私自身が運動として認識できる現実を判断してそう思う訳です。そしてこの肝心要に対して少なくとも私は無力であると痛恨しています。全ては地元の方、さらには「実現する会」の展望に起因するところ大だと考えるからです。
さらに古久保氏の市民運動と市民への配慮について適切且つ大事な発言がありました。やはり、住民・市民を考慮した運動でなければ世論を喚起できない、その為にも全体への方向性を具体的な形で示さなければならないというものであったと思います。
以上から押し並べて、会議に参加された全ての方は方向性として、取り敢えず形式に拘らず全体での運動の取り組みの必要性を再確認できたと理解します。従って私の非人格的、暴言発言は参加された方の忌憚のない意見がでたことで有効かつ生産的であったと自負、独り善がりに考えています。
せめぎ合いの厳しい運動を強いられる渦中にあって、地元でない私は必然的に主体的な運動を担うことが出来ません。従ってこの会議を契機にして私と山鳥坂ダム反対運動を再考してできる取り組みを摸索したいと考えています。
今回の会議において各氏に対して不適切な発言ならびに不愉快な思いをさせることがあったとすれば全て運動論の摸索から出たものでそれ以上の他意の無いことを察し頂き不問に付して頂ければ幸いです。
なお、この見解書は28日の夜、29日午前の会議に出席された方に送信します。
2004年06月02日
国土省との交渉について
交渉の問題は時間帯だけです。実現しなければならない原則は平日の夜もしくは土、日曜日の終日しかありません。
今回一番考えなければならないことは、説明会を住民参加の下で行うことに尽きます。開催は前回の全容において公開討論会として評価できるものでした。次回においては、公開の真骨頂が問われる住民運動の真価を発揮する時だと考えます。前回の流域委員会においても住民排除で強行されました。今回も住民が参加できない状況で開催されれば旧の木阿弥です。前回の参加者が同じように参加できる状況を獲得しなければ反って住民の反発を招く恐れが出てきます。
一部参加者で開催することは避けなければなりません。ここで念頭におかなければならないことは、説明会を開くことを目的化しては全くお門違いも甚だしいということです。一部の方が発言できれば良いということではないはずです。現状況で一番大事なことは、住民の関心度であり集る力です。整備局と真正面から対峙する住民運動の姿勢を示すことが運動の真の目的でありそれ以外の何ものでもありません。
私はたとえ負けるにしても住民運動の負け方の美学があると常に考えながら策を考えています。それは他者に対する説得をどれだけもつかにもかかってくる問題だと考えます。空間、時間軸を越えた問題としても考慮してのことです。
上記の条件外での説明会は前回の主旨の逸脱であり、今後の運動展開を考えても自ら閉塞状況を招く結果でしかなくなります。
今回の交渉は正に住民運動の正念場です。
最後に私から皆様へ 「連帯を求めて孤立を恐れず」
今回一番考えなければならないことは、説明会を住民参加の下で行うことに尽きます。開催は前回の全容において公開討論会として評価できるものでした。次回においては、公開の真骨頂が問われる住民運動の真価を発揮する時だと考えます。前回の流域委員会においても住民排除で強行されました。今回も住民が参加できない状況で開催されれば旧の木阿弥です。前回の参加者が同じように参加できる状況を獲得しなければ反って住民の反発を招く恐れが出てきます。
一部参加者で開催することは避けなければなりません。ここで念頭におかなければならないことは、説明会を開くことを目的化しては全くお門違いも甚だしいということです。一部の方が発言できれば良いということではないはずです。現状況で一番大事なことは、住民の関心度であり集る力です。整備局と真正面から対峙する住民運動の姿勢を示すことが運動の真の目的でありそれ以外の何ものでもありません。
私はたとえ負けるにしても住民運動の負け方の美学があると常に考えながら策を考えています。それは他者に対する説得をどれだけもつかにもかかってくる問題だと考えます。空間、時間軸を越えた問題としても考慮してのことです。
上記の条件外での説明会は前回の主旨の逸脱であり、今後の運動展開を考えても自ら閉塞状況を招く結果でしかなくなります。
今回の交渉は正に住民運動の正念場です。
最後に私から皆様へ 「連帯を求めて孤立を恐れず」