2004年02月13日
公務執行妨害容疑とTV映像の証拠利用
2月12日愛媛新聞社説「TV映像の証拠利用 メディアの本質が損なわれる」が掲載されている。これは、大洲署が昨年、大洲市で起こった公務執行妨害容疑での書類送検にテレビ局の報道映像も松山地検に証拠として提出した問題を論説している。
内容は報道元である南海・愛媛放送は県警に厳重に抗議をして録画映像の撤回を求めたとある。理由は「取材映像は報道以外の目的に使用しないという、取材者は取材対象者の間の信頼関係を損なう」とある。御尤もなマスコミの主張である。これを受けて、社説は「報道の根幹にかかわる問題でもあり、テレビ局が厳重抗議したというのは当然である。私達も重大な関心をもって推移を見守りたい。」とある。御尤もな論説である。
これらのメディア側からの主張は、映像と監視社会の問題で最近よく論じられる。今回大洲署での公務執行妨害容疑に限り言及すれば、知る由がないがカメラマンの参考事情聴取があったか気になるところである。現場に居た広範囲の関係者から事情聴取を行っていると聞いている。このことはさて置き、県警から連絡があった時は「社内で対応を協議する時間もなかった。」との新聞記事がある。
マスコミにとって、言葉は単なる伝達手段ではなく極めて戦略的な営利上且つ自社の生命線、報道倫理に基づいた聖職義務のある特権化したものの筈だ。と私は個人的には思っている。物語を作っての販売合戦に明け暮れるだけではないだろう。上記で主張していることを真摯に受け止めれば、「厳重に抗議する」ことと「対応を協議する時間もなかった」との南海・愛媛放送の姿勢には全く整合性がない、と判断されても致し方ないだろう。
さらに言及すれば、「厳重に抗議」する姿勢に根本的な間違いがあることも指摘しなければならない。と言うのは、真実を報道する姿勢はあって当たり前だが、真実は写真の一齣で判断できる時もあれば、時間的経過に委ねた判断に因ることも往往にしてあることは歴史が物語っている。残念なことに今回の取材映像には上記の時間的経過が欠落していることである。真実を網羅した映像にはなっていないということだ。所謂極めて事件性の高いニュースとして報道されたことである。
ここで申し述べておきたいのは、私も第三者的目撃者であることだ。問題の核心は、整備局関係者が「強制退去」との発令と同時に屈強な二人の職員による実力排除の手段に出たことである。この事件の発端ともいうべき映像が写されていない。従って結果だけの映像を大洲署署長がいう「捜査上、必要だったので送付した」というのでは真実を判断する基準からほど遠いものとは言えないか。
社説にもあるように目撃者が居たから十分状況判断するに足る証言が得られるはずであり、敢えてテレビ映像が必要であったとは考え難い。また、驚くべきことは肱川流域委員会に傍聴者として地元刑事が居り写真集的に撮影をしている現実である。これは、推測するに、警察の写真証拠と民報テレビ局の報道映像が一致していることによる極めて計画的とも言える捜査方法の裏付けを狙ったものとも言えなくはない。
そう邪推されても致し方ない結果になっている。何れにせよ、刑事が傍聴していて写真を撮っている事実は、何とも不可思議な光景であり、この肱川流域委員会の異例性を当初から物語っている。結果的には、マスコミ関係者の使命が公権力の下請け的機関になりかねない状況を呈している。これに危機感をもった南海・愛媛放送が「厳重抗議」撤回を求めたのは、検討以前の問題として当然の対処といえる。
さらに、取材対象者との信頼関係を回復、持続するには、抗議、撤回声明を出した後の対応がどのようなものであるかが問われる。是非信頼関係を取り戻せるに値する処置を講じてもらいたい。市民と報道機関のあり方に一石を投じて欲しいと願うのは、私一人ではない筈である。
内容は報道元である南海・愛媛放送は県警に厳重に抗議をして録画映像の撤回を求めたとある。理由は「取材映像は報道以外の目的に使用しないという、取材者は取材対象者の間の信頼関係を損なう」とある。御尤もなマスコミの主張である。これを受けて、社説は「報道の根幹にかかわる問題でもあり、テレビ局が厳重抗議したというのは当然である。私達も重大な関心をもって推移を見守りたい。」とある。御尤もな論説である。
これらのメディア側からの主張は、映像と監視社会の問題で最近よく論じられる。今回大洲署での公務執行妨害容疑に限り言及すれば、知る由がないがカメラマンの参考事情聴取があったか気になるところである。現場に居た広範囲の関係者から事情聴取を行っていると聞いている。このことはさて置き、県警から連絡があった時は「社内で対応を協議する時間もなかった。」との新聞記事がある。
マスコミにとって、言葉は単なる伝達手段ではなく極めて戦略的な営利上且つ自社の生命線、報道倫理に基づいた聖職義務のある特権化したものの筈だ。と私は個人的には思っている。物語を作っての販売合戦に明け暮れるだけではないだろう。上記で主張していることを真摯に受け止めれば、「厳重に抗議する」ことと「対応を協議する時間もなかった」との南海・愛媛放送の姿勢には全く整合性がない、と判断されても致し方ないだろう。
さらに言及すれば、「厳重に抗議」する姿勢に根本的な間違いがあることも指摘しなければならない。と言うのは、真実を報道する姿勢はあって当たり前だが、真実は写真の一齣で判断できる時もあれば、時間的経過に委ねた判断に因ることも往往にしてあることは歴史が物語っている。残念なことに今回の取材映像には上記の時間的経過が欠落していることである。真実を網羅した映像にはなっていないということだ。所謂極めて事件性の高いニュースとして報道されたことである。
ここで申し述べておきたいのは、私も第三者的目撃者であることだ。問題の核心は、整備局関係者が「強制退去」との発令と同時に屈強な二人の職員による実力排除の手段に出たことである。この事件の発端ともいうべき映像が写されていない。従って結果だけの映像を大洲署署長がいう「捜査上、必要だったので送付した」というのでは真実を判断する基準からほど遠いものとは言えないか。
社説にもあるように目撃者が居たから十分状況判断するに足る証言が得られるはずであり、敢えてテレビ映像が必要であったとは考え難い。また、驚くべきことは肱川流域委員会に傍聴者として地元刑事が居り写真集的に撮影をしている現実である。これは、推測するに、警察の写真証拠と民報テレビ局の報道映像が一致していることによる極めて計画的とも言える捜査方法の裏付けを狙ったものとも言えなくはない。
そう邪推されても致し方ない結果になっている。何れにせよ、刑事が傍聴していて写真を撮っている事実は、何とも不可思議な光景であり、この肱川流域委員会の異例性を当初から物語っている。結果的には、マスコミ関係者の使命が公権力の下請け的機関になりかねない状況を呈している。これに危機感をもった南海・愛媛放送が「厳重抗議」撤回を求めたのは、検討以前の問題として当然の対処といえる。
さらに、取材対象者との信頼関係を回復、持続するには、抗議、撤回声明を出した後の対応がどのようなものであるかが問われる。是非信頼関係を取り戻せるに値する処置を講じてもらいたい。市民と報道機関のあり方に一石を投じて欲しいと願うのは、私一人ではない筈である。