2004年05月09日
アセスの勉強会に当たって
私も愛媛県警から「来ないほうが良い」との適切なアドバイスを頂いていた関係上なかなか現地の状況多難な低迷する運動に気分消沈していましたが、3月書類送検から治療費請求の運びでそれらしい方向性が見えて精神的にやっとある種のものが払拭された気分になり、先日大洲市入りを決めました。
それと、先日肱川河川整備の原案発表と同じくして紀ノ川河川計画の原案発表が重なり、この両原案が新河川法の下で作成されたという矛盾に理不尽さを越えた憤りを覚えた為でした。今日のダム反対の理論的急先鋒の運動を考えた場合、やはり私が主張しなければ立ち居かない展望を考えての決意です。理不尽であり整合性がないことに対しては断じて異議を唱えていかなければ日本の将来はないと考えた次第です。
大きく風呂敷を広げましたが、警告に違反しての渦中へとは日本広しといえども残念ながら私をおいて他にないと自負、自認してのことです。さらに根拠があります。それは建設省当時の「ダム審議委員会」そして国土省の新河川法に基づく「流域委員会」この両委員会に私が関係したことにあります。ダム反対運動において両委員会を体験された学識経験者ならびに住民運動家の方はおりません。
また、国土省と真っ向から治水論・基本高水を論戦した方はおりません。これはタブーだったのです。ダム反対運動で知られる新潟大学の大熊教授もこれを避けました。と言うのは国土省お抱え東京大学の高橋教授の門下生ということがあり出来なかったのです。それで私が地元の三橋氏からの要請で資料を送り、当時の「清津川ダム検討委員会」で大熊教授は治水論を止めて利水論を展開してダムが中止に至った経緯があります。私は2度地元の要請で会議に参加して方法論を論じてきました。2002年8月5日早朝5時、三橋氏から新潟日報一面記事のダム中止決定の報告を受けたことを思い出します。
上記した一例で何を説明したいのかといえば、学術的勉強会を行っても住民運動の推進力に成らないということです。学識経験者はテキストを説明できてもそれを現実に活用する能力を持ち合わせていません。残念ながらお上に楯突く学者は皆無と言えます。治水論がタブーだったのは、先程の日本広しといえど、京都大学国土開発研究所の上野助手、大熊教授、大阪市立大学高田教授、そして市民団体「水源連」しかないのが現実なのです。ご存知のように長野県知事田中康夫氏の「脱ダム宣言」は大熊教授と高田教授が参加しての委員会から生まれました。
その後高田教授は大学から足かせを填められる結果になりました。このように特別な教授においてもなかなか運動には至らないのです。それは彼らも最近やっと自認しはじめつつあります。従って、東雲女子大の須藤教授のような運動家は例外です。彼は再度の運動展開を摸索し始めました。私の指摘は中予分水が無くなった時点で中止を勝ち取れなかったところに大洲の住民運動の弱点があったように思います。しかし、流域委員会事件後再度積極的な運動の取り組みをされています。参考に申しますが、昔から「学者の運動ほど当てにならないものはない」というのが定説です。知識人の自惚れとそれに対する市民の妄信が今日の低迷する時代を作ってきた側面があります。
地域、地方自冶を考えることは即ち市民が問題に対する認識をしっかり持つということに尽きると思いますが、戦後日本の民主主義は国民自ら社会に放った楔を拡げてしまったのです。また、そうすることが高度分業社会を形成するのに都合がよいと言う利便性にかまけてしまったというのが現実です。そういう意味で住民、市民運動は知の復権、短絡的に表現すれば「もう騙されないぞ」という市民の自覚といえます。幸い現在はあらゆる情報が入手可能です。一部翻訳情報による隔離政策を除けば、専門分野においても各自の取り組みは可能です。
私が半年前から提言しているアセスに対する理解が進みやっと取り組みが地元の方で現実化しつつあります。池田さんも最近よく電話で問い合わせがあります。
今回の講師の件ですが、新アセス法においても治水論と同じで適任者はいません。国際的と自認している東京工大の原科教授が急先鋒的に見えますが、何度かご一緒しましたが旧来型典型的な学者運動である為に実践的ではありません。
また名古屋大学の森島教授は新アセス法の学術的整備にご熱心で現実との乖離を棚に上げた論考で話しになりません。住民運動としてのアセスを講演する適任者はいないというのが現状です。というのも、99年に一般的な意味において市民にお披露目された法律です。従って国土省管轄のダム関係において現実に適応された現場がないというのも私達に馴染み薄い結果をもたらしていると言えます。然らば、私と新アセス法の関係ですが、実は中止になった紀伊丹生川ダムが「ダム審議委員会」で答申されて新アセス法の第1号適応になる予定でした。
私はこのアセスの過程で中止を狙える運動の組み立てを摸索していた経緯があります。現実は「紀ノ川流域委員会」で中止が発表された訳ですが。またこれと前後して、「愛知万博検討委員会」と平行したアセスメントの実施が行われていました。所謂環境省のアワセメントです。
この委員会に東工大の原科教授と東京大学の松田教授が委員として参加していました。そして地元名古屋では、愛知学院大学の宇佐見教授がアセス法に基づく市民運動を展開していたのです。「紀伊丹生川ダム」と「愛知万博」のアセス運動の渦中に私が居たという経緯から私とアセス法の関係を理解して頂けるものと思います。
先日、有友氏からアセスの勉強会講師の依頼を受けました。私の場合は前述したように、実践的アセス運動論ということになります。従って、勉強会もしくはアセス界でいわれる戦略的アセスメントではなく、実践的運動論としてのアセス論議に尽きるものです。4月6日の私のスピーチもこのへんを睨んだ運動団体の発足を示唆したものであることを再考して欲しい。
アセスへの取り組みは多くの人材と多大な費用が必要になります。これに対処する為には旧態依然の個々の団体体質では立ち行かなくなります。昨年の2月、初めてスピーチした時に私がお願いしたことは、各自が山鳥坂ダム反対に対して何が出来るかを問い質して対処して欲しいということでした。そうすることによって自ずと各自の役割分担が明確化した責任に昇華する、運動に力がつく結果に結びついてくるということを述べました。しかしながら、今日、全国的なダム問題になりつつある現状で、低迷した迷走を展開する運動に終始しかねないのが現実と言わざるを得ない結果と見受けられます。先日の遠藤氏のメッセージにもありましたが、『「このままでは・・・」という危機感の表れ』になっている事実です。地元の方の苦悩は計り知れませんが、私達も悩んでいます。
最後に、この苦悩を山鳥坂ダム中止に向けての力に換えたいと願望している事実を私は痛切に理解しています。だからこそ難局を打開して欲しいのです。正に遠藤氏のメッセージの真意です。
最後に、住民運動は方法が無いから先ず可能な運動を展開する、これに尽きます。
それと、先日肱川河川整備の原案発表と同じくして紀ノ川河川計画の原案発表が重なり、この両原案が新河川法の下で作成されたという矛盾に理不尽さを越えた憤りを覚えた為でした。今日のダム反対の理論的急先鋒の運動を考えた場合、やはり私が主張しなければ立ち居かない展望を考えての決意です。理不尽であり整合性がないことに対しては断じて異議を唱えていかなければ日本の将来はないと考えた次第です。
大きく風呂敷を広げましたが、警告に違反しての渦中へとは日本広しといえども残念ながら私をおいて他にないと自負、自認してのことです。さらに根拠があります。それは建設省当時の「ダム審議委員会」そして国土省の新河川法に基づく「流域委員会」この両委員会に私が関係したことにあります。ダム反対運動において両委員会を体験された学識経験者ならびに住民運動家の方はおりません。
また、国土省と真っ向から治水論・基本高水を論戦した方はおりません。これはタブーだったのです。ダム反対運動で知られる新潟大学の大熊教授もこれを避けました。と言うのは国土省お抱え東京大学の高橋教授の門下生ということがあり出来なかったのです。それで私が地元の三橋氏からの要請で資料を送り、当時の「清津川ダム検討委員会」で大熊教授は治水論を止めて利水論を展開してダムが中止に至った経緯があります。私は2度地元の要請で会議に参加して方法論を論じてきました。2002年8月5日早朝5時、三橋氏から新潟日報一面記事のダム中止決定の報告を受けたことを思い出します。
上記した一例で何を説明したいのかといえば、学術的勉強会を行っても住民運動の推進力に成らないということです。学識経験者はテキストを説明できてもそれを現実に活用する能力を持ち合わせていません。残念ながらお上に楯突く学者は皆無と言えます。治水論がタブーだったのは、先程の日本広しといえど、京都大学国土開発研究所の上野助手、大熊教授、大阪市立大学高田教授、そして市民団体「水源連」しかないのが現実なのです。ご存知のように長野県知事田中康夫氏の「脱ダム宣言」は大熊教授と高田教授が参加しての委員会から生まれました。
その後高田教授は大学から足かせを填められる結果になりました。このように特別な教授においてもなかなか運動には至らないのです。それは彼らも最近やっと自認しはじめつつあります。従って、東雲女子大の須藤教授のような運動家は例外です。彼は再度の運動展開を摸索し始めました。私の指摘は中予分水が無くなった時点で中止を勝ち取れなかったところに大洲の住民運動の弱点があったように思います。しかし、流域委員会事件後再度積極的な運動の取り組みをされています。参考に申しますが、昔から「学者の運動ほど当てにならないものはない」というのが定説です。知識人の自惚れとそれに対する市民の妄信が今日の低迷する時代を作ってきた側面があります。
地域、地方自冶を考えることは即ち市民が問題に対する認識をしっかり持つということに尽きると思いますが、戦後日本の民主主義は国民自ら社会に放った楔を拡げてしまったのです。また、そうすることが高度分業社会を形成するのに都合がよいと言う利便性にかまけてしまったというのが現実です。そういう意味で住民、市民運動は知の復権、短絡的に表現すれば「もう騙されないぞ」という市民の自覚といえます。幸い現在はあらゆる情報が入手可能です。一部翻訳情報による隔離政策を除けば、専門分野においても各自の取り組みは可能です。
私が半年前から提言しているアセスに対する理解が進みやっと取り組みが地元の方で現実化しつつあります。池田さんも最近よく電話で問い合わせがあります。
今回の講師の件ですが、新アセス法においても治水論と同じで適任者はいません。国際的と自認している東京工大の原科教授が急先鋒的に見えますが、何度かご一緒しましたが旧来型典型的な学者運動である為に実践的ではありません。
また名古屋大学の森島教授は新アセス法の学術的整備にご熱心で現実との乖離を棚に上げた論考で話しになりません。住民運動としてのアセスを講演する適任者はいないというのが現状です。というのも、99年に一般的な意味において市民にお披露目された法律です。従って国土省管轄のダム関係において現実に適応された現場がないというのも私達に馴染み薄い結果をもたらしていると言えます。然らば、私と新アセス法の関係ですが、実は中止になった紀伊丹生川ダムが「ダム審議委員会」で答申されて新アセス法の第1号適応になる予定でした。
私はこのアセスの過程で中止を狙える運動の組み立てを摸索していた経緯があります。現実は「紀ノ川流域委員会」で中止が発表された訳ですが。またこれと前後して、「愛知万博検討委員会」と平行したアセスメントの実施が行われていました。所謂環境省のアワセメントです。
この委員会に東工大の原科教授と東京大学の松田教授が委員として参加していました。そして地元名古屋では、愛知学院大学の宇佐見教授がアセス法に基づく市民運動を展開していたのです。「紀伊丹生川ダム」と「愛知万博」のアセス運動の渦中に私が居たという経緯から私とアセス法の関係を理解して頂けるものと思います。
先日、有友氏からアセスの勉強会講師の依頼を受けました。私の場合は前述したように、実践的アセス運動論ということになります。従って、勉強会もしくはアセス界でいわれる戦略的アセスメントではなく、実践的運動論としてのアセス論議に尽きるものです。4月6日の私のスピーチもこのへんを睨んだ運動団体の発足を示唆したものであることを再考して欲しい。
アセスへの取り組みは多くの人材と多大な費用が必要になります。これに対処する為には旧態依然の個々の団体体質では立ち行かなくなります。昨年の2月、初めてスピーチした時に私がお願いしたことは、各自が山鳥坂ダム反対に対して何が出来るかを問い質して対処して欲しいということでした。そうすることによって自ずと各自の役割分担が明確化した責任に昇華する、運動に力がつく結果に結びついてくるということを述べました。しかしながら、今日、全国的なダム問題になりつつある現状で、低迷した迷走を展開する運動に終始しかねないのが現実と言わざるを得ない結果と見受けられます。先日の遠藤氏のメッセージにもありましたが、『「このままでは・・・」という危機感の表れ』になっている事実です。地元の方の苦悩は計り知れませんが、私達も悩んでいます。
最後に、この苦悩を山鳥坂ダム中止に向けての力に換えたいと願望している事実を私は痛切に理解しています。だからこそ難局を打開して欲しいのです。正に遠藤氏のメッセージの真意です。
最後に、住民運動は方法が無いから先ず可能な運動を展開する、これに尽きます。