2002年01月28日
「紀伊丹生川ダム建設」の現況
伊藤 達也 様
「長良川河口堰住民訴訟通信」NO.17―事務局より―を拝読しました。今回の主張で特に、教職者、裁判官、専門家についての意見を考え、常々私も同じようなことを思いながら市民運動を行っている者として共感しました。それと、昨日、和歌山市において、高校教職員組合主催による、「平和について語ろう アフガン問題」という集会が行われ、また、この日は私達が毎月企画しているデモの日ということもあり参加して呼びかけをしました。教職員の自覚が全くないのには何度となく思い知らされてはきているが、今回もまた失望させられてしまった。文面にもあるように、個々の立場における社会的存在の意義が欠落している、和歌山県教職員組合であることを再認識することになったこともあり筆を取りました。
特に強調されている「専門家だからこそ、謙虚でなければならない。」、「そういう謙虚さのかけらも見られない教師や研究者だけにはなりたくなかったことが、裁判に参加した最大の理由です。」とあります。私はこれこそが〈社会運動〉の原点の発想だと考えています。また、一般市民においても、この謙虚さが最重要なことであり、多様な市民の立場だからこそ、問題にたいして謙虚さが出てくる、そして、良い展望への糸口を得ることが出来るものと確信しています。
もう一つ、運動の原点とも言うべきものに、〈平等〉、問題に対して対等な関係において物事を推し進めるという過程が原則であると考えています。文章にある「大事なのは、決して結果ではない。結果に至るプロセスなのです。」ということにも成ると思います。
私事ですが、運動を通じて多くの弁護士の方にも不愉快、不可解なことをいつも感じています。和歌山県においても、昨年から新河川法に基づき「紀ノ川流域委員会」が立ち上がりました。一般公募により私も委員に選出された訳ですが、これを機会に大阪弁護士会環境部会の方も交え勉強会を兼ねた対策会議なるものを持つ試みが出来ました。ご承知のように、「紀伊丹生川ダム建設」計画に対しての対策会議です。私が治水論に関して専門的にお願いしてあった大阪府立大学の先生も加わり、公募委員一人、地元住民団体事務局、関心のある方の自由参加ということで昨年5月から始めている訳ですが、どうも環境部会におけるアリバイ作りの観に思えることが多くあります。昨年の諏訪湖で行われた、主催の一つ「日本環境法律家連盟」の先生の弁論ももうひとつ理解に苦しむところがありました。
当日、出席した「苫田ダム」反対運動の矢山有作氏とそのことに付いて話しながら帰りに着きました。問題に対しての立っているスタンスが違うのでしょうか。愚痴っぽくなりましたが、何れにせよ前向きに取り組むことが先決であり大事なことであると考え運動を推進していきたいと思っています。
ここで、私の取り組む「紀伊丹生川ダム建設」の現況を少し述べたいと思います。3年前の「ダム審議委員会」において、「建設は妥当である」という結論から、公共事業の見直しを受けて、「紀ノ川流域委員会」が昨年の6月から開催されています。国土省曰く、「ダム審議委員会はなかったものとして」の仕切り直しです。争点は全く利水目的がなくなったダム計画として、治水論に絞られると思われます。また、今日の公共事業見直しが問われる状況において、ダムサイト、設計の変更など時代に逆行する計画を如何に無意味な公共事業であるかを喝破することであると考えています。
また、もう一つの運動は、行政の委員会システムを如何に市民レベルにおいて審議を進めて行くか、運営の方法論を獲得していくかという問題です。国土省が「開かれた委員会」を標榜する、従って、私達市民でしっかり委員会を開示していかなければならない。
「紀ノ川流域委員会」の資料等を同封します。一度ご覧になってください。「紀ノ川流域委員会を検証する」、「海上の森から愛知万博反対の声」の資料は、昨年10月13,14日に豊橋市で行われた青山「環境行政改革フォーラム」総会でのスピーチ原稿です。
3月2日の生協会館での集会はあいにくこちらで第7回「紀ノ川流域委員会」が開催されます。残念ですが。
2002.1.27
岩 畑 正 行
「長良川河口堰住民訴訟通信」NO.17―事務局より―を拝読しました。今回の主張で特に、教職者、裁判官、専門家についての意見を考え、常々私も同じようなことを思いながら市民運動を行っている者として共感しました。それと、昨日、和歌山市において、高校教職員組合主催による、「平和について語ろう アフガン問題」という集会が行われ、また、この日は私達が毎月企画しているデモの日ということもあり参加して呼びかけをしました。教職員の自覚が全くないのには何度となく思い知らされてはきているが、今回もまた失望させられてしまった。文面にもあるように、個々の立場における社会的存在の意義が欠落している、和歌山県教職員組合であることを再認識することになったこともあり筆を取りました。
特に強調されている「専門家だからこそ、謙虚でなければならない。」、「そういう謙虚さのかけらも見られない教師や研究者だけにはなりたくなかったことが、裁判に参加した最大の理由です。」とあります。私はこれこそが〈社会運動〉の原点の発想だと考えています。また、一般市民においても、この謙虚さが最重要なことであり、多様な市民の立場だからこそ、問題にたいして謙虚さが出てくる、そして、良い展望への糸口を得ることが出来るものと確信しています。
もう一つ、運動の原点とも言うべきものに、〈平等〉、問題に対して対等な関係において物事を推し進めるという過程が原則であると考えています。文章にある「大事なのは、決して結果ではない。結果に至るプロセスなのです。」ということにも成ると思います。
私事ですが、運動を通じて多くの弁護士の方にも不愉快、不可解なことをいつも感じています。和歌山県においても、昨年から新河川法に基づき「紀ノ川流域委員会」が立ち上がりました。一般公募により私も委員に選出された訳ですが、これを機会に大阪弁護士会環境部会の方も交え勉強会を兼ねた対策会議なるものを持つ試みが出来ました。ご承知のように、「紀伊丹生川ダム建設」計画に対しての対策会議です。私が治水論に関して専門的にお願いしてあった大阪府立大学の先生も加わり、公募委員一人、地元住民団体事務局、関心のある方の自由参加ということで昨年5月から始めている訳ですが、どうも環境部会におけるアリバイ作りの観に思えることが多くあります。昨年の諏訪湖で行われた、主催の一つ「日本環境法律家連盟」の先生の弁論ももうひとつ理解に苦しむところがありました。
当日、出席した「苫田ダム」反対運動の矢山有作氏とそのことに付いて話しながら帰りに着きました。問題に対しての立っているスタンスが違うのでしょうか。愚痴っぽくなりましたが、何れにせよ前向きに取り組むことが先決であり大事なことであると考え運動を推進していきたいと思っています。
ここで、私の取り組む「紀伊丹生川ダム建設」の現況を少し述べたいと思います。3年前の「ダム審議委員会」において、「建設は妥当である」という結論から、公共事業の見直しを受けて、「紀ノ川流域委員会」が昨年の6月から開催されています。国土省曰く、「ダム審議委員会はなかったものとして」の仕切り直しです。争点は全く利水目的がなくなったダム計画として、治水論に絞られると思われます。また、今日の公共事業見直しが問われる状況において、ダムサイト、設計の変更など時代に逆行する計画を如何に無意味な公共事業であるかを喝破することであると考えています。
また、もう一つの運動は、行政の委員会システムを如何に市民レベルにおいて審議を進めて行くか、運営の方法論を獲得していくかという問題です。国土省が「開かれた委員会」を標榜する、従って、私達市民でしっかり委員会を開示していかなければならない。
「紀ノ川流域委員会」の資料等を同封します。一度ご覧になってください。「紀ノ川流域委員会を検証する」、「海上の森から愛知万博反対の声」の資料は、昨年10月13,14日に豊橋市で行われた青山「環境行政改革フォーラム」総会でのスピーチ原稿です。
3月2日の生協会館での集会はあいにくこちらで第7回「紀ノ川流域委員会」が開催されます。残念ですが。
2002.1.27
岩 畑 正 行