2002年09月09日
紀伊丹生川ダム計画、英断の中止背景が物語るもの
今回紹介してある新聞記事から、紀伊丹生川ダム計画中止の背景を考察してみたい。私が「紀ノ川流域委員会」の委員として2回目の委員会から終始主張してきたことは、この計画には地元住民ならびに漁協組合が反対している、洪水対策としての整備局の治水論は破綻している。また。近年の水需要予測が大幅に下降している、この3点である。
毎回、これらの根拠を説明したビラ、資料、委員会への提案等を各委員ならびに整備局関係者に配布してきた。
昨年6月7日に第1回委員会が開催されて、先日の8月9日で10回の審議が行われてきた訳だが。内容は洪水対策による整備局の治水論に対する反論である。整備局プログラムからいけば予定の治水審議回数を大幅に延長するようになり、各委員からも速やかやプログラムにのった進行が望ましいという発言が相次いだ。とにかく、治水論を議論、審議をした訳である。
4月25日、第8回流域委員会において、マスコミ報道による、ダム縮小計画案の発表の時期についての質問を行ったところ、整備局の返事は6月中に縮小案を発表します、との答えであった。そして、5月16日の中止発表。25日から22日後の決断が中止になった訳である。
6月11日の新聞記事を読んで頂ければ、市民に対して中止に対する整備局の至極当たり前の「水需要減なら計画変更」というタイトルが説得力を持つ。また、「水需要の減少と環境面の双方を配慮すると、多くの制約ができ、結果的に事業として成り立たなくなりました。」との整備局の発言が理路整然と述べられると全くその通りだということになる。
さらに、99年9月に出された「ダム審議委員会」での答申付帯事項での「水需要予測の調査」、「環境保全に万全を」、これを重く受け止め、粛々と検討した結果、中止との結論に至りました。といえば、今まで国土省は嘘、偽りは一つもありませんと憚りなく吹聴しているとしか聞こえない。この次元で市民参加での議論を反映するという真骨頂が崩れさり、同じ土台に乗ったかに見えた流域委員会での乖離が修復不可能なものになってしまっていると認識するほかないだろう。
これまでのダム計画は、全て国土省が発案して実施、中止を行うのであって住民、市民の参加は意見聴取に留める、この姿勢は時代背景が変わろうとも首尾一貫すると言わんばかりではないか。
また、このことは5月の川辺川ダム強制収用委員会について竹村河川局長が発言した「議論の行方と本体着工は別次元の話」、もう一つは「説明責任は『これで十分』ということはなく、未来永遠にあると認識している」と明言している。
これは、私の持論、段違いの平行棒論を実に的確、見事に恥ずかしげもなく言い放っている。そして、現在全国で行われているダム論議は正にこの二つのパロディーに集約されているといっても過言ではない。
6月5日の私の主張「住民運動の可能性広げる」と11日の近畿地方整備局河川部長の「水需要減なら計画変更」を読んで頂きこの二つのパロディー、現在行われている全国の流域委員会の縮図に終止符を打つべきさらなる運動を私達は模索しなければならない。
岩 畑 正 行
毎回、これらの根拠を説明したビラ、資料、委員会への提案等を各委員ならびに整備局関係者に配布してきた。
昨年6月7日に第1回委員会が開催されて、先日の8月9日で10回の審議が行われてきた訳だが。内容は洪水対策による整備局の治水論に対する反論である。整備局プログラムからいけば予定の治水審議回数を大幅に延長するようになり、各委員からも速やかやプログラムにのった進行が望ましいという発言が相次いだ。とにかく、治水論を議論、審議をした訳である。
4月25日、第8回流域委員会において、マスコミ報道による、ダム縮小計画案の発表の時期についての質問を行ったところ、整備局の返事は6月中に縮小案を発表します、との答えであった。そして、5月16日の中止発表。25日から22日後の決断が中止になった訳である。
6月11日の新聞記事を読んで頂ければ、市民に対して中止に対する整備局の至極当たり前の「水需要減なら計画変更」というタイトルが説得力を持つ。また、「水需要の減少と環境面の双方を配慮すると、多くの制約ができ、結果的に事業として成り立たなくなりました。」との整備局の発言が理路整然と述べられると全くその通りだということになる。
さらに、99年9月に出された「ダム審議委員会」での答申付帯事項での「水需要予測の調査」、「環境保全に万全を」、これを重く受け止め、粛々と検討した結果、中止との結論に至りました。といえば、今まで国土省は嘘、偽りは一つもありませんと憚りなく吹聴しているとしか聞こえない。この次元で市民参加での議論を反映するという真骨頂が崩れさり、同じ土台に乗ったかに見えた流域委員会での乖離が修復不可能なものになってしまっていると認識するほかないだろう。
これまでのダム計画は、全て国土省が発案して実施、中止を行うのであって住民、市民の参加は意見聴取に留める、この姿勢は時代背景が変わろうとも首尾一貫すると言わんばかりではないか。
また、このことは5月の川辺川ダム強制収用委員会について竹村河川局長が発言した「議論の行方と本体着工は別次元の話」、もう一つは「説明責任は『これで十分』ということはなく、未来永遠にあると認識している」と明言している。
これは、私の持論、段違いの平行棒論を実に的確、見事に恥ずかしげもなく言い放っている。そして、現在全国で行われているダム論議は正にこの二つのパロディーに集約されているといっても過言ではない。
6月5日の私の主張「住民運動の可能性広げる」と11日の近畿地方整備局河川部長の「水需要減なら計画変更」を読んで頂きこの二つのパロディー、現在行われている全国の流域委員会の縮図に終止符を打つべきさらなる運動を私達は模索しなければならない。
岩 畑 正 行