2005年10月13日

陳 述 書

私は和歌山市内で自営業を営んでいる56歳の男子です。戦後生まれの、正に団塊の世代を代表して生きてきたといえます。私の世代は、戦後の爪あとを我が身に刻んで生き抜いた、時代が分断されたという意識を持つことなく戦後の経済復興とともに成長してきたと言えるものです。私の幼少の頃は、幸いにして、せっぱ詰まった衣食住に対する危惧を感じることなく過ごせたという漠然とした記憶しかありません。
 
社会への関心をもたざるを得ない年代、90年頃からは、バブルの崩壊が囁かれ、戦争というきな臭い現実が再び日本においても話題になってきた、日米安保の現実路線が如実に語られ始めた年代でもあった。
 
驚異的経済再建を成し遂げ、世界の先進国に躍り出たその背景で、国の借金が近年膨大になり、その破綻が国民に及びそうになって、国の政策は極端な米国依存性を余儀なくされる政策に転じてしまった。それは、正に小泉政権の竹中平蔵大臣の経済、金融政策が物語っています。国の財政の失策を又もや国民に負担させようとする、相も変わらぬ、責任は国民にという図式はいつの時代、何処も同じということであろう。
 
2003年8月、「住民基本台帳ネットワークシステム」の本格稼動が始まった訳だが、一つには、アメリカも試みた課税対象の合理化と徹底徴収による国の借金返済計画の一端を担うものとして計画されていることは明確な現実であると思います。政府が吹聴する、住民票ならびにビザの手続き不要論等の利便性の為に、人口統計一元化など莫大な予算を掛けてするというのは、虚仮脅しも良いところで、それこそ無駄な公共事業の一つでしかないことは国民挙って承知のところです。

であれば、このシステムの本来の狙いは何かと暗中模索していくうちに、世間では空恐ろしいことが主張され、その危険性が暴露されるに至り、市町村地域においては、「ネットワークシステム」からの離脱まで出る始末です。そこで、私もどう考えても単なるシステムによる利便性とはかけ離れたところの危険性を考えれば、このシステムを個人的に離脱、さらに「ネットワーク」を廃止しなければとんでもないことになると考えて、差し止めを求め原告になる決意をしました。

次に、政府の主張する利便性について述べます。システム稼動から2年ですが、今日まで私自身がこの恩恵を蒙ることなく日常生活を営んでいます。政府広報による利便性は成る程、一見便利そうに見えるが、よくその利便性について考えれば、施行する政府、関係する会社か、利用する個人かのどちらが利便性の恩恵を受けるかは、誰もが一目瞭然の結果として知れるものです。

例えば、医療機関において、「住民基本台帳カード」決済が可能になるという、精算方法の画期的処理かに見えることが、実は、当本人の疾患全てのことがらがその場で公開されていることになります。その個人の疾患を知って得策と考え喜ぶ対象者は誰でしょうか、言わずと知れたことです。そして、この時点から社会的「差別」の対象になっていく訳です。疾患等の場合、特に恐ろしいことは、本人だけの差別ではなく、家族そのものが永久にその対象になっていくという。差別をなくす、戦後の一貫した理念が吹っ飛んでしまう出来事な訳です。
 
もう一つ危惧することがらは、「住民基本台帳カード」を使用することによって、常に個人の目的と居場所が明確に記録されていくという不安です。所謂、監視社会に対する不安です。私の居場所は常に政府にあるという精神的苦悩は説明しがたい苦痛です。従って、私は、政府が利便性を主張するのに反して、考えれば考えるほど「差別」と「監視」による不安は大きくなり、無限の精神的苦痛を感じます。主にこの二点を掲げていますが、国民の個人情報の一元化が機能する国の多様な利用は、ありとあらゆる手段として権力に権益になっても、国民にとっては百害あって一利なしの結果になります。

一日も早く、「住民基本台帳ネットワークシステム」の離脱、切断を和歌山市ならびに国に要望します。戦後、日本が目指してきた「差別」と「監視」をなくす社会の実現に逆行する「住民基本台帳ネットワークシステム」の廃止をお願いします。

2005年10月8日
和歌山市和歌浦南 3-5-41
原告 岩畑正行