2007年02月12日

焼身自殺

静岡県庁横で男性の焼身死体 知事と静岡市長へ抗議ビラ

あまりマスコミ、社会面で取り上げられていないが、住民運動を担ってきたと自負する私には、衝撃的な出来事だった。多くの方が抗議自殺を考える訳だが、それは考えであって実施不可能な展開で、何時も気持ちのフレームを表す一瞬の思いにあるというのが大方の見方だ。

しかし、現実になった今回の抗議焼身自殺はその意味で衝撃だった。そして、遺書を読んで強く同感した。それは、住民運動における勝敗に拘る姿勢だ。私はこれまで多くの住民運動に参加したが、先ず、関わると同時に勝つか負けるかを一番に考えた。そして、敗北の運動展開であればどのような展開が望ましいかを探りながら、状況が一転する、突破の逆転戦略を考えるのが常道だった。しかし、そうそう簡単明瞭に事が展開されることはない。行政と住民団体の認識の違いと同じぐらい、住民運動に携わる住民間の温度差が常に目標よりも大きく個人の眼前に立ちはだかる経緯はごく普通の特筆すべきことではないのが現実である。従って、この現実との個々人の格闘が運動の始まりと言っても過言ではない。
 
遺書の一部に下記文言がある。
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悲しい事ではあるけれど。空港反対の活動は、明らかに敗北なのだ。
なぜなら、このままでは出来てしまうからだ。これを敗北と言わずして何であろう。
しかしいまだに敗北を認めない人々、そしてその原因を考えようとしない人々。
敗北の原因は、自分たちが正義だと思っていたからなのだ。
それを許してはならない。まだ遅くない。人々が本気で抗議すれば、こんな間違った空港が出来るはずが無い。
正気の詩
正気なのに、狂気の選択をするのは、つらいです。
毎日、自分を追い詰めています。
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ずばり運動の核心を確実に言い当てている。
反対、阻止運動を担ってきた者にとっては、敗北は耐えがたきものである。まさに温度差の問題でも有る訳だが、敗北を受け入れるにもその担ってきた過程と同じ時間を要する悲しみがついてまわるものだ。敗北を受け入れることを追い詰めてしまうと、反って出口を塞いでしまう結果になる。
 
いろんな課題を集約する言葉に「本気」という精神状態がある。しかし、「本気」は個々人そうあると思い運動を担っているものだ。だから、「本気」を解釈することは、難解極まりない精神状況そのものに意味を与えつつ感触するしかないものだと考え、其処を我が身の隠れ蓑に一瞬おくことをよしとしてきた。しかし、現実の抗議焼身自殺を目の当たりに知ることで、今後はそうもいかなくなった思いに封じ込められそうだ。

ご冥福を祈るばかり。