格物致知

2007年06月26日

大江氏の希望とはなにか

2007年02月12日

焼身自殺

静岡県庁横で男性の焼身死体 知事と静岡市長へ抗議ビラ

あまりマスコミ、社会面で取り上げられていないが、住民運動を担ってきたと自負する私には、衝撃的な出来事だった。多くの方が抗議自殺を考える訳だが、それは考えであって実施不可能な展開で、何時も気持ちのフレームを表す一瞬の思いにあるというのが大方の見方だ。

しかし、現実になった今回の抗議焼身自殺はその意味で衝撃だった。そして、遺書を読んで強く同感した。それは、住民運動における勝敗に拘る姿勢だ。私はこれまで多くの住民運動に参加したが、先ず、関わると同時に勝つか負けるかを一番に考えた。そして、敗北の運動展開であればどのような展開が望ましいかを探りながら、状況が一転する、突破の逆転戦略を考えるのが常道だった。しかし、そうそう簡単明瞭に事が展開されることはない。行政と住民団体の認識の違いと同じぐらい、住民運動に携わる住民間の温度差が常に目標よりも大きく個人の眼前に立ちはだかる経緯はごく普通の特筆すべきことではないのが現実である。従って、この現実との個々人の格闘が運動の始まりと言っても過言ではない。
 
遺書の一部に下記文言がある。
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悲しい事ではあるけれど。空港反対の活動は、明らかに敗北なのだ。
なぜなら、このままでは出来てしまうからだ。これを敗北と言わずして何であろう。
しかしいまだに敗北を認めない人々、そしてその原因を考えようとしない人々。
敗北の原因は、自分たちが正義だと思っていたからなのだ。
それを許してはならない。まだ遅くない。人々が本気で抗議すれば、こんな間違った空港が出来るはずが無い。
正気の詩
正気なのに、狂気の選択をするのは、つらいです。
毎日、自分を追い詰めています。
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ずばり運動の核心を確実に言い当てている。
反対、阻止運動を担ってきた者にとっては、敗北は耐えがたきものである。まさに温度差の問題でも有る訳だが、敗北を受け入れるにもその担ってきた過程と同じ時間を要する悲しみがついてまわるものだ。敗北を受け入れることを追い詰めてしまうと、反って出口を塞いでしまう結果になる。
 
いろんな課題を集約する言葉に「本気」という精神状態がある。しかし、「本気」は個々人そうあると思い運動を担っているものだ。だから、「本気」を解釈することは、難解極まりない精神状況そのものに意味を与えつつ感触するしかないものだと考え、其処を我が身の隠れ蓑に一瞬おくことをよしとしてきた。しかし、現実の抗議焼身自殺を目の当たりに知ることで、今後はそうもいかなくなった思いに封じ込められそうだ。

ご冥福を祈るばかり。

2007年02月03日

「人権とメディア」についての意見書

週刊金曜日・編集部へ
中嶋啓明氏の「人権とメディア」の論評に対して意見書をメール送付。

また、今回の問題については、1月6日、「人権侵害や差別」というタイトルで見解表明を行っている。
人権侵害や差別」【平和の声・通信 NO319】  

「人権とメディア」について

中嶋啓明 様

「週刊・金曜日」1月26日号、中嶋啓明氏が「人権とメディア」の欄で、昨年の「11・19緊急市民集会」を巡って「編集部」の対応について見解を述べている。そこで一読者として、中嶋氏の見解について若干思うところがあり意見を述べさせて頂く。
 
中嶋氏の論調は極めて正当な人権と侵害についての認識を述べているものと考える。その論調から、「編集部」に対して「よく見られる無責任で不誠実な、日本的おわびのあり方を思い出す」と手厳しく批判しているのは、尤もな言及だと私も同感する。しかし、手厳しい批判の中嶋氏ではあるが、今後、徹底批判をもって努力すると表明しているその表明には、言葉の運動性がもつ本来備わっている格闘するスタイルが見えない尻しぼみの言説で終わっているのが気がかりである。

中嶋氏は言論人として人権とメディアを考察する立場で『金曜日』と『新潮』両者のその有様を批判している。その姿勢は尊重される。しかし、それであるならば、不甲斐無いと考えられる「おわび」をよしとして「その実現のために努力していく」という事務処理的言葉に相乗りする姿勢は、いかにも90年以降の有事法制物語の現代風左翼運動の典型ではないだろうか。

何度となく「その実現のために努力していく」、「頑張ろう」のお経を唱えてきて今日の体たらくさを露呈してきた事実に対して、私達はもっと真摯な敗北的見解に基づき今後の運動に位置しなければならないと考えたならば、もう少し恥じらいの言葉、秘めた怒りを感じさせる格闘スタイルの決意表明と、遅まきながらの何らかの対策を予見させる言い回しがあってもよかったと考える。

槍玉に挙げている『新潮』は、右派だが今日まで数々の問題ある問題提議を展開して、それなりに社会、言論界の批判に対して受けて立つという格闘の姿勢を表明してきている。メディアは倫理かの次元以前の最前線においての問題提議は、盗人にも三分の利である。言論の格闘とはこの三分の利を如何に精査するかによって、ことの本質に言及できるかの過程を持続させるかということである。この見解に立てば残念ながら『金曜日・編集部』はこの過程を放棄していると言わざるを得ない。然らば、中嶋氏のこれに相乗りする姿勢に対しては、謙虚に受け入れることが出来ないというのが私の吐露するところだ。

一般的冷静さで考えて、『新潮』のメディアに対する暴力的煽動こそ糾弾に値する。『新潮』の記事を書いた記者は、言葉は暴力の運動性を担っていることを理解できていないと思われる。しかし、よく考えれば過去の経緯から、「新潮編集部」がこの暴力性を利用していると考えた方が妥当だろう。
 何れにせよ、『新潮』への例えば「公開質問状」といったかたちでの抗議が出されなかったことが残念である。

兎に角、『金曜日』ならびに中嶋氏は言葉の運動性からくる運動の過程がやや理解不足の嫌いがないか。中嶋氏の冒頭にある、「少々時機を逸したかもしれないが、やはり一言書いておかなければと思う。」とあるが、少々どころか全く時機を逸している。時機を逸したことが敗北なので、風化させない為に書いておくでは運動のスタイルにはならない。少なくとも私達は歴史を検証しているのではないということであって、言論、表現の自由、民主主義の成熟を勝ち取る為に切磋琢磨しているという現実を一瞬忘れることに甘んじてはならないということだ。
 尤も、週刊誌『金曜日』のもつ限界性、市民運動情報誌と定義してしまえば話は別である。たまたま、常に出てくる勇ましい言説についつい一部の読者が、言論による変改幻想を抱くところに錯覚という自己慰安の落とし穴があっての批判につながっているのかも知れない。
今回の意見は私自身に対する戒めも含めて述べさせて頂いた、悪しからず。

                                岩畑政行

2007年01月26日

政治と金

「小沢氏の問題は確かに法律には違反していない。しかし、政治団体は不動産登記できないので、不動産の名義は小沢氏になっている。政治団体が解散すれば、小沢氏のものになってしまう。世間は何だと思うし、これじゃあ、自民党の閣僚を追及できません」(民主党議員)
 
これに類する利権があるから国会議員になっている仕組みは古今東西かわらない。大体、交通機関タダ乗り事態もオカシイ話である。立派な志があっても、特権という利権が度重なれば自ずと利に方向付くのは人間の習性である。だから、政治家は嘘をつく習性を知らずに身に着けるものだ。その鎧を着せるのもしかし私達でもある。政治は愚かしい利便性追求の権力持続装置であり、便宜上の人間が作り出した安全装置の役割も担いながら、ひたすらに権力へ向かう。

何れにせよ、民主党は菅副代表が明言した「解体、出直しが必要である」、この一語に尽きると考えるのは私だけではないだろう。

2007年01月15日

「防衛省」昇格は再侵略を意図

【平和の声】日本は、平和を追求したり、平和的な国家であり続けようとする意図はなく、国際平和協力という目眩ましで、正義の戦争を吹聴する米国の支援を続けることに全力を傾注している。情けないの一語に尽きる。

北朝鮮の朝鮮労働党機関紙(朝鮮日報)労働新聞は「日本は再侵略を意図」

最近、日本の防衛庁が防衛省に昇格したことについて、「第2次大戦前の軍国主義への回帰であり、わが国に対する侵略を意図したものだ」と批判した。
AP通信は14日、労働新聞が防衛庁の省への昇格について、「自衛隊の攻撃的な役割を遂行するためのもので、非常に危険な動きだ」と主張し、このように批判した、と伝えた。
また、北朝鮮の朝鮮中央通信が伝えた労働新聞の論評では、「日本には実際のところ、平和を追求したり、平和的な国家であり続けようとする意図は全くなく、再び侵略戦争へと突き進むことに執念を燃やしている」と日本を批判している。

2007年01月14日

始まった労働法改正

最近、残業代ゼロ「ホワイトカラー・エグゼンプション」という言葉が各紙の紙面を賑わしている。そして、25日から始まるといわれる通常国会は、「格差是正国会」とも称されるほど争点が絞られてきている。その一つがパート労働法の改正である。14日、サンデープロジェクトも大田弘子経済財政担当大臣を迎えパート労働者の処遇についての対応を迫っていた。
 
昨年、12月18日経済財政諮問会議で八代尚宏委員の「労働ビッグバン」に関する「正社員待遇を非正社員並みに」との発言で物議を醸したが、政府の参議院選向けての対応で一時凍結論議になりかけている。政府は、パート労働者の処遇問題については十分政争の具になりうるとして積極的対応の姿勢だ。幸い、13日朝日新聞(大阪本社)朝刊は、一面トップでタイトル「パート差別禁止ごく一部」の記事を掲載している。本来は「ホワイトカラー・エグゼンプション」とのセットで論じられるべき問題で、パート労働者の処遇だけが先走りしても核心に迫ることはできない。通常国会での法案提出後の論議に注目しなければならない。
http://www.asahi.com/politics/update/0111/003.html
 
パート労働法改正案の一部が明らかになってきたので、物議を醸した八代尚宏委員発言について「労働ビッグバン」の概略を参考に論じてみたい。タイトルは、「労働ビッグバン」・「同一労働同一賃金という正義を実現するために」である。なお、参考資料としての各リンクサイトは僭越ながら筆者のブログを参照して頂きたい。

 労働ビッグバン
最近、政府筋の委員会で真面な意見が出始めている。相変わらず問題ありの教育再生会議の野依良治座長は「塾は禁止」と再三繰り返し発言を行なっている(第1次報告書の原案には記載されていない)。また、経済財政諮問会議では八代尚宏委員は 昨年12月18日、労働市場改革についてのシンポジウムで、企業内の格差是正のためには「正社員の待遇を非正規社員の水準に合わせることも必要だ」、さらに、「既得権を持っている大企業の正社員が、非正規社員や下請け企業の労働者などの弱者をダシにしている面がかなりある」と発言している。

「弱者をダシにしている面がかなりある」は経済連、マスコミ等から直ちに大胆発言と揶揄されたが、非正社員問題が一般的格差問題から「身分格差」に深化しつつある現状において、どの程度「ダシ」にしているかを論議、話題に値する貴重な発言と言えるものである。多分この八代発言を受けてだと思われる、28日朝日新聞はオピニオン欄一面で当人からの展望(対談・労働ビッグバン)を掲載している。再び「労働ビッグバン」について論議する気運になればさらに望ましいことである。しかし、既に「労働ビッグバン」については、経済連の鶴の一声で掻き消されてしまっている。ご承知のように、経団連会長が御手洗氏になり、政党への献金奨励策等、政府との二人三脚が際立つようになってきている。

企業のグローバル競争から、正常な時間推移による緩やかな成長路線が望めなくなった企業の生き残り戦略としての「労働ビッグバン」は、日本の高度成長時に蔓延った豊かさ、中流意識による安堵感がもたらした日本流保守主義が労働者自身を代表するようになった結末が招いたとも言える。既に労働組合の組織低下と空洞化は、経営陣の思う壺になっている。労働者一個人の自信は敢え無く、束の間のお楽しみで、今やまな板の鯉、自信喪失の萎縮状態を余儀なくされている。しかし、国、会社、神頼みは変わらず、もはや組合を必要としない。その現実が組織率18.2%という数字が物語っている。これに拍車を掛けているのが10年前に遡るパート労働者との確執問題である。

即ち、「身分格差」の問題はずっと引きずっていたのである。「差別」という厄介な言葉を抹消して系列化してきた労働市場で避けてきた組合自体の問題が大きい。そして、今日の体たらくは、自民党雇用調査会から、格差問題が深刻に論じられ、後藤田正純事務局長から労組の消滅を訝しがられるという事態までになってしまっている。各労組幹部の責任は重い。これは、既に03年経団連奥田碩前会長の「労働組合運動が内部から自壊する危機にひんしている」との指摘どおりである。

ところで、どの程度の「ダシ」かについては、発言以後、緘口令の嫌いである。どうも八代氏発言の「既得権」という言葉が引き金になっているようだ。身に覚えのある方なら殆どこの言葉はタブーとして余り論じて欲しくない権益話しである。公務員と正社員はこの「既得権」を頼りに労働に従事していると自己確信している節がある為か、今の自己聖域を弄くられることは、仕事での労苦は兎も角として、耐えられないことのようだ。要するに、何の為に辛抱、苦労してきたのかということだ。

そして、この正社員労働者の結集が「ホワイトカラー・エグゼンプション」(労働時間規制の撤廃)に対する連合会長の「反対貫き通す」となって実現している。その決意は「蟷螂の斧」ということらしいので、自民党内での参院選対策の労働ビッグバン反対と符合してこれもお蔵入りするかも知れない。自民党にとっては、選挙前に格差問題の傷口をこれ以上広げると勝てないという危機感から一旦はお預けの選択肢ということだろう。
 
何れにせよ、日本人は問題を是正する方法論として、無かった話での白紙というのは特異であるが、風呂敷包みを開き全てを隠さず見せる、白紙に戻して検討するといった大鉈を振う方法は苦手のようである。今までの「既得権」の喪失が直ぐに脳裏を過るからだろう。

パンドラの箱を誰がどのように開けるかが問題である。外資系企業と成長した御手洗経団連会長の鼻息は荒い、しかし、政府は強気だが、参議院選を控え敢えて、てぐすねひく野党の餌食になる展開は避けて、飽く迄も議論であり法案提出に止めるだろう。また、議論にしても、政府案の対象者所得900百万以上に対して、経団連の400百万以上とする金額の差額は段違い論である。しかしながら、同時に導入される対象外労働者の残業代割増率引き上げ問題は格差是正の目玉論で先送りも限度がある。ついでに公明党太田代表の、常に煮ても焼いても食えない表明に終始する発言を紹介しておこう、「働いている方たちの感情、心情もあるし、拙速になってはならない」。

「同一労働同一賃金」という「正義」を実現するために上記のスローガンを掲げているブログを読むことができたので少し言及する。
濱口桂一郎氏のタイトル、革命的労働ビッグバン主義者万歳!「全ての革命的な労働者学生諸君は一致団結して八代先生とともに労働ビッグバンを実現すべく闘おうではありませんか!」というものだ。

大鉈を振るう主張、覚悟を改革を目指した発想で真摯な意見だと賛同したい。しかし、ここで紹介されている松田匡氏のマルクス主義論「民営化・規制緩和は社会主義への前進」だという発想が直ちに現在的状況に飛翔できるかはやや疑問視を抱かざるを得ない。松田氏の掛け声も理解できるので、少し紹介しておく、「ここで現在のマルクス主義者が打ち出すべき方針は、150年前にマルクスが打ち出した方針と同じである。

今日進行する熟練の解体、脱国家化、世界統合、会社その他の集団共同体の解体といった傾向に対して、これに逆行する方向で対応するのではなく、これらの傾向を積極的に引き受け、むしろ資本家達が旧体制との妥協に走って改革を中途半端なものにしがちなのを踏み越えて、一層徹底的にこの傾向を押し進めなければならない。そしてこの傾向がムキダシの資本主義によってもたらされるために引き起こされる様々な悲惨に対しては、職場を超え、階層を超え、産業を超え、国や民族を超えた労働者、民衆の団結によって、激しく闘っていかなければならない。」という、正に左翼の保守性を厳しく糾弾したものと思われるが、現在日本の労働者精神状況、一つに組合の組織率を見ても、今年6月現在で18.2%と31年連続の組織率の低下が報告されている。また、9条改憲は時代の流れと是認したのも低下しきった組織率の悪足掻きの結果といえる現状である。これだけを取ってみても、すんなり掛け声どおりに行かなくなっているのが現状である。

従って、この現実を謙虚に受け止め、机上論化した今日の変革を現実のものとする為の展望を持ちたいと考えるのは極普通のことであろう。但し、ここで論じられているマルクス主義者の展望、「現状を反動の一世紀の終焉として祝うべきもの」としての認識を共有するには、喉元までということにはならないか。従って、変質したかも知れない「労働者、民衆」の定義を根底から堀越し、プロレタリアとサラリーマンのニュアンスを明確に認識しなければならない状況を直視することによって、「団結」の意味を噛み締める時期だと考える。

何れにせよ、八代氏の「労働ビッグバン」論議からマルクス主義的展望論が出てきたことは喜ばしい限りである。今後の経済財政諮問会議での八代委員の発言に注目して、「ホワイトカラー・エグゼンプション」論議を見守りたい。この論議には変革を可能にするマグマが秘められている。私達、サラリーマンの揺さぶりに因ってこのマグマを地上に蔓延させることは十分現実味のある話だし、そうしなければならない。

 追記
「社員いじめ」撃退法(読売オンライン)、タイトル「サラリーマン受難の07年」の特集で「ホワイトカラー・エグゼンプション」論議の要が解説されている。企業が狙う「定額働かせ放題」、「お金さえ払えば解雇できる?」等の具体例が説明されているので参考にお読みください。
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/yw/yw07012101.htm